2018年11月30日
12月16日(日)西方寺すす払いへいくぞん♪
お知らせぢゃ〜
12月は、
岡崎歴史探求班が
日頃から、お世話になっている
幸田町の西方寺へ、
すす払いのお手伝いに行こうかの
その後は、
綺麗になった本堂にて
お疲れさま会を開催する予定なんぢゃ
お弁当をこちらで用意するでのん
参加を希望される方は
9日までに、ご連絡もらえるとたすかるの〜
宜しくお願いするでのん♪
西方寺では貴重な蓄音機をみることができるんぢゃ
日時:12月16日(日)10:00〜
昼食は12:00頃を予定しています
場所:西方寺
〒444-0102 愛知県額田郡幸田町久保田
参加費:お弁当代・お茶代として、2000円
すす払いを体験しながら、
この1年で溜まりに溜まった
心のすす払いもするかのう!!
わしも、すす払いは初体験ぢゃ
楽しみだのん♡
そして、お互いに
気持ちのよい新年を迎えるとするかのん
2018年11月29日
りぶらぶらり散歩へいってきたぞん♪
りぶらぶらり散歩
岡崎城下伊賀川,乙川いまむかしツアー
岡崎歴史探求班の班長、歴史探偵さかもとさんが
ガイドを務めさせていただきましたぞ
お天気もよく、暖かいお散歩日和じゃったのぅ〜
とても可愛いパンフレットもご用意いただき
ありがたかったがの
参加してくださった皆さまにも、
感謝感謝じゃ
楽しい時間を、ありがとうござりました
岡崎城下伊賀川,乙川いまむかしツアー
岡崎歴史探求班の班長、歴史探偵さかもとさんが
ガイドを務めさせていただきましたぞ
お天気もよく、暖かいお散歩日和じゃったのぅ〜
とても可愛いパンフレットもご用意いただき
ありがたかったがの
参加してくださった皆さまにも、
感謝感謝じゃ
楽しい時間を、ありがとうござりました
Posted by 三田村ちはる at
12:48
│Comments(0)
2018年11月29日
やはぎ飛鳥まつりin北野廃寺前年祭報告会ぢゃ
やはぎ飛鳥まつりin北野廃寺
前年祭報告会
60人以上の出席者を迎え、
報告会が行われたぞん
おまつりが終わった事で、
開催前よりもずっと和やかな雰囲気となったのぅ
いろいろな出合いがあり、
喋りたい人とも話すことができ、
まだまだ足りない感じではあるがの、
またひとつ、大きな山を越えることが出来た
本当に良かった✨
ご参加いただいた、皆様、
お疲れ様だったのん
そして、
今後とも、宜しくお願いするぞん
いやじゃとは、いわんでくれぇ〜
前年祭報告会
60人以上の出席者を迎え、
報告会が行われたぞん
おまつりが終わった事で、
開催前よりもずっと和やかな雰囲気となったのぅ
いろいろな出合いがあり、
喋りたい人とも話すことができ、
まだまだ足りない感じではあるがの、
またひとつ、大きな山を越えることが出来た
本当に良かった✨
ご参加いただいた、皆様、
お疲れ様だったのん
そして、
今後とも、宜しくお願いするぞん
いやじゃとは、いわんでくれぇ〜
2018年11月28日
2018年11月28日
ダイワスーパーの厚焼き卵サンドイッチを喰らうぞん
ダイワスーパー 岡崎市宇頭町
かき氷と、フルーツサンドで超♡有名な
ダイワスーパーにやってきたぞん
おぉ〜〜
厚焼きたまごサンドもあったぞん♪♪
美味すぎるのう〜〜
かき氷と、フルーツサンドで超♡有名な
ダイワスーパーにやってきたぞん
おぉ〜〜
厚焼きたまごサンドもあったぞん♪♪
美味すぎるのう〜〜
2018年11月28日
いにしえの岡崎 大友皇子史跡めぐりさんぽへ言ってきたぞん
秋の岡さんぽ
いにしえの岡崎 大友皇子史跡めぐりさんぽ 4.5キロ 4時間
コース
玉泉寺〜大友皇子陵〜東大友神明社〜大友天神社
〜小針古墳〜天伸にて大友皇子弁当
岡崎歴史探求班の班長で
歴史探偵さかもとさんのわしが
ガイドを務めさせていただきましたぞん
ちょうどいい人数で、
お互いに意見を言い合う事もできたし
大友皇子弁当も大好評でおいしかったのん♪
地元の歴史も
みんなで歩くと
楽しいのぅ〜
ご参加いただいた皆様、
本当にありがとうございました
いにしえの岡崎 大友皇子史跡めぐりさんぽ 4.5キロ 4時間
コース
玉泉寺〜大友皇子陵〜東大友神明社〜大友天神社
〜小針古墳〜天伸にて大友皇子弁当
岡崎歴史探求班の班長で
歴史探偵さかもとさんのわしが
ガイドを務めさせていただきましたぞん
ちょうどいい人数で、
お互いに意見を言い合う事もできたし
大友皇子弁当も大好評でおいしかったのん♪
地元の歴史も
みんなで歩くと
楽しいのぅ〜
ご参加いただいた皆様、
本当にありがとうございました
Posted by 三田村ちはる at
11:17
│Comments(0)
2018年11月28日
2018年12月23日家康公生誕祭ぢゃぁ!
12月23日家康公生誕祭
今回が初の試み
提灯行列に、
役者が出揃ったぞん
このお祭りは宵祭りでの
岡崎城にひとが集まると
とてもいい雰囲気になるんじゃぁあ
甲冑行列が
龍城神社に列をなしてお参りし、
岡崎城に集合する風景は
圧巻
めっちゃ楽しみじゃのん
今回が初の試み
提灯行列に、
役者が出揃ったぞん
このお祭りは宵祭りでの
岡崎城にひとが集まると
とてもいい雰囲気になるんじゃぁあ
甲冑行列が
龍城神社に列をなしてお参りし、
岡崎城に集合する風景は
圧巻
めっちゃ楽しみじゃのん
2018年03月13日
【若宮八幡宮】岡崎市朝日町 歴史探偵さかもとさん
【若宮八幡宮】岡崎市朝日町 歴史探偵さかもとさん
歴史探偵さかもとぢゃぁ!
こちらの神社には、徳川家康と正妻の築山御前の間に出来た長男、
信康の首塚があるぞ
家康も信康も、たいそう無念だったことじゃろうなぁ〜
築山御前の首だけでは、治まりきらなかったんじゃろう
たまには、ゆっくり参りにきてくれよ
ぢゃぁのん!!
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天正7年(1579年)9月15日、岡崎城主であった松平信康は、織田信長より武田勝頼内通の疑いをかけられ二俣城で自刃させられる(母親の築山殿は8月29日、野中重政らによって殺害された)。首は信長の実検後に岡崎に返され、清水万五郎が徳川家康の命で、投村根石原(現在の朝日町)に埋め、印の松を植えたという。
その後岡崎城代となった石川数正が天正8年(1580年)5月、信康を若宮八幡宮として、母の築山御前を神明宮として祀ったという。
明治維新後に観音堂が分離し投町に移る。本殿横に信康の首塚がある。1945年(昭和20年)7月20日の岡崎空襲により、土蔵を残して全焼。社殿は再建されたが旧観はない。(Wikipediaより抜粋)
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わしへのメッセージはこちらぢゃ
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2018年02月21日
歴史探偵さかもとさん【小針遺跡がこんなところにぃいい!!!】
歴史探偵さかもとさん【小針遺跡を眺める】
歴史探偵さかもとぢゃぁ!
愛知県岡崎市小針町からは、
おびただしい数の住居跡が発見されたんぢゃぞ
ちょうど、矢作川に添った、碧海台地のはしっこぢゃから、
昔からひとびとが
住みやすかったんぢゃのう
下にある、「学区の移り変わり」が、
非常にわかりやすく説明されておるぞ
1)大むかしのくらし
一万年前の氷河時代が終わった後を,沖積世と呼んでいます。その頃の矢作川は,現在のように一本の川でなく,いくすじかに分かれて流れ,土や砂を押し流し,積み重ねながら,矢作川の両側の低い平野を形づくってきました。そして,この低地を見おろす小針,橋目,北野の台地は,野草や木の茂った森林であったと思われます。
この台地に,大むかしの人々が使った生活の道具が数多く発見されています。つぎの評のように今から約五千年前に使った石器では,石やじり(矢の先につけ,けものをとるもの),石おの(木を切るもの),石ぼう(ものをくだくもの),などが出土しています。これらの石器の発見から,当時の人々は,弓矢を使ってシカやイノシシなどのえものの狩りや,矢作川での漁,木の実(ドングリ,シイなど)の採集でくらしをたてていたことが分かります。そして,えものを求めて,時おり碧海台地矢作川岸ぞいに,住まいを移動しながら生活していました。
大陸から日本に稲作の技術が伝わると,しだいに米作りの農業がはじまりました。狩りや漁の生活から,一か所に住む場所を決めて安定した生活ができるようになりました。北野や橋目・小針に連なる碧海台地と沖積平野の境めに住居をもち,小さな「ムラ」を作って、集団で低地での米作りを始めました。このため,わたしたちの学区では,弥生時代の遺物が数多く発見されています。
小針町からも,たくさんの土器のかけらが出ました。弥生時代後期のものです。これらの土器のほとんどは,台地の端と低地に集まっています。このことは,狩りや漁,木の実、草の実にたよっていた生活から,米作りを中心にした生活にかわり,それにともなって人口もふえ,「ムラ」も多くなったことを示しています。
(2)小針遺跡
平成5年から6年にかけて小針町での遺跡の調査が行われ,たくさんの住居跡が見つかりました。これは,古墳時代後期(6~7世紀)から奈良時代(8世紀)にかけてあった竪穴式住居の跡です。住居跡は,百軒以上見つかりました。建て替えなどを考えると,実際は2、30けんの集落であったと思われます。
この時代の竪穴式住居は,すみが丸くなった正方形の形に地面を掘り,その中に柱を四本立てて,屋根をかけたものです。また,部屋のかべのそばには,かまどが作られていました。じゅんきょの中からは,須恵器(高温で焼かれた土器)の破片が出土しています。
矢作川ぞいには大規模な集落がたくさんありました。その中でも,この小針遺跡は古墳時代のものにしては一番大きなものになります。調査はまだ続き,徐々にこの時代の人々のくらしや社会の構造がはっきりしていくでしょう。(「学区の移り変わり」より抜粋)
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2018年01月31日
家康公の伝説が残る「御所清水」はここじゃ!
【御所清水の伝説・家康編】岡崎市北野町 歴史探偵さかもとさん
北野町にある、北野小学校の西側には、「御所清水」と呼ばれる湧き水があるんじゃ。
「御所清水」の伝説には、家康公にまつわる話と、持統天皇にまつわる話があるのじゃが、
今回紹介する場所は、家康公にまつわる「御所清水」じゃ
1558年2月豊田市の寺部城(現在の豊田市寺部町)を攻めた徳川家康(この頃は
松平元康)が、戦いの帰り道にここへ立ち寄り、のどの渇きをいやしたのだとか。
岡崎の兵と、寺部上場種寺部重辰との、激しい戦いだったそうじゃぞ!
そしてもうひとつ家康公にまつわる話があるぞ。
1560年5月、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に打たれると、家康公(元康)も
大高(現在の名古屋市緑区西南部)から命からがら、逃げ帰ってきたそうなんじゃ。
そのときにも、ここでのどの渇きをいやしたそうなんじゃ。
2年前の寺部城の戦いの後に、北野町の御所清水に寄った事を、
家康公は覚えておったのかもしれんのぅ
当時ほどではないが、いまも湧き水は湧いておるぞ!!
そして、「鹿が松の伝説」へと繋がってゆくんじゃ。
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